「いつも楽しそうだよね」と、よく言われる。
「君は楽しくないの?」と、訊き返すほかない。
女性に言われたなら「君といるんだから、そりゃ楽しいよ」が、正解なのかもしれない。そう返すのがエチケットだろう。
男がそう言ってくる場合は、呆れたような冷めた笑いをともなっている。しゃんとした男はそんなこと言ってこない。きっと、しゃんとした男にとっては、楽しいのが当たり前だからだろう。
歳をとったからか、男女の関係なく、楽しくなさそうな人と話す機会が増えたように感じる。
仕事から帰ったら、何もする気がおきない、スマホをいじって寝るだけだ。と、その人は言う。楽しくないのは仕事のせいだと。
どうしようもないよね、お疲れさま。かけられる言葉はそれくらいである。
僕も、平日は工場の中間管理職をしている。この時代にあっては幸いなことに、仕事は無限にあって、一連休だって珍しくない。そこに輪をかけてお気楽な性格であるから、Yesマンを繰り返して、溢れた仕事の上に仕事を積み上げる日々。
高く高く積みあがったToDoリストは、ぐらぐらと期日に揺れる。それを確かな勢いでスワイプして消し込んでいく。まるで引っこ抜いたそばから新しい達磨が落ちてくる無限達磨落とし。
だから、人並みにストレスにはさらされていると言ってもいいだろうと思う。
それでも毎日が楽しいのは、僕の根っこがMッ気にできているからだ。
僕は、辛いことをただただツライと嘆くタイプでない。辛いとちょっぴりキモチイイ。
疲れてくると、もっと疲れたくなる。
だから、仕事を終えて家に帰る時間が連日21時をこえようが、ドライアイで目の奥がガンガン締め付けるみたいに痛かろうが、夜遅くまで個人的な活動に熱中してしまう。
個人的な活動は色々あって、工学系の勉強をしている日もあれば、管理職系の勉強をしているときもあって、ただベースを弾いているだけの時もある。
そして……僕は、かれこれ一年とちょっと、チマチマと小説を書いている。
コンテストに三回応募した。
最初の一回は去年の夏、駄作。一次落ち。
二回目は今年の一月、二次落ち。(なんとか上位30%に入った)
三回目は今、短編の審査中である。
今も、四回目のためにチマチマ書いている。
小説を一本書くというのは結構な重労働で(最低でも8万字は書かないといけない)、それをコンテストに出して、箸にも棒にも掛からぬとなると、これはけっこう傷つく。
それでも、過去の経験、工場で通用するくらいのロボットを設計して、製作して、プログラムを組めるようになるまでに、勉強時間が五年くらい必要だったことを思い返せば、その学び易さ、試行回数の稼ぎやすさからして、小説はコスパがいい。
たまに、ふと思う。
いつから人生は、こんなにも負けっぱなしになったのか。と。
若い頃は、ゲームにしろ恋愛にしろ、そこにはなんとなく勝ち負けがあって、勝ったり負けたり、バランスよく繰り返して日々を過ごしていた気がする。
今はどうだろか。僕と歳の近い人はみんな、僕を含め、負けっぱなしじゃないだろうか。
負けはあっても、勝ちはない。そんな日々をおくっているんじゃないだろうか。
仕事・キャリアには、上には上がいることを身をもって知っていて、勝ちだと胸を張れる機会はすっかり失われてしまった。
恋愛なんかについても、何が勝ちなのかピンとこない。しかし確かに、負けはある。負ければただちに心は流血する。
つい先日、いつものように一日中負けっぱなした平日の夜の帰り道、漫画なんかでよくある、あの定番のセリフが頭をよぎった時、その言葉の真意に気づいたような気がして一人でニヤニヤした。
「昨日の自分に負けたくない」
なるほど、これを僕流に、あるいは負けっぱなしの二十九歳らしく言い直すとこうか、
「昨日の自分くらいしか、勝てる相手がいない」
毎日楽しいからって、疲れていないわけじゃない。
手を止めそうになったら、この言葉をつぶやく。
「昨日の自分くらいにしか勝てないだろ」
いい感じにかっこが悪くて、不思議と元気が出てくる。