ジェンツーペンギンのオスは、愛を伝えるためにつるつるのキレイな石を探してきて、それをメスに渡すそうだ。メスがその石を巣に持ち帰れば恋仲は成立する。
ジェンツーペンギンのように女の子に石を渡すわけにもいかないので、私は代わりに言葉を探す。なるべくシンプルに、ステキに、相手を笑顔にするようなピッタリの言葉を探してきてそれを渡す。
私の言葉を笑顔で持って帰ってくれたらそれだけで幸せである。
言葉巧みに目の前の女性を笑顔にしたい。意地悪な世間が自信を奪ったのなら、私の言葉で自信を取り戻して欲しい。それこそが今までの私の恋愛観であった。
さて、私の妻はどうであろうか。
結婚以前は私の言葉の石ころを満足気に、そして少し自慢するように、大切にしてくれていた。
あんまりにも可愛かったのでたくさんの石ころをあげた次第である。
しかし、石ころの時代は長く続かない。
同棲、結婚と段階が進むにつれて様子が変わってきた。
ヨチヨチと歩いてキレイな石ころ言葉を見つけてはガールフレンドにその石を渡してみせて、「まあ、嬉しいわ。貴方はいつもキレイな石で私をご機嫌にしてくれるの」なんて云われてグワグワと喜んでいた私のジェンツー的恋愛生活はコッパミジンに吹き飛んだのである。
もはや妻は言葉の石ころなんてまやかしに興味はない。どんなキレイな言葉の石ころの価値も無に帰すほどの高価な石のついたリングを私が渡したからかもしれない。
結婚生活に必要なのは言葉の石ころなんてものではなく魚である。男は魚を捕り、それを惜しみなく妻に捧げる。たくさんの魚を捕ることこそが円満な結婚生活のコツである。かくして石ころ時代は終わりを告げ、魚の時代が到来する。
ジェンツーペンギンのように泳げない私は魚を捕ることができないので仕方なく仕事へ行く他ない。ヨチヨチと言葉の石ころを探す方がよっぽど幸せであった。
とはいえ私はジェンツーペンギン。どうしてもステキな石ころを渡したくなってしまう。
そっと石を妻の前に差し出しても、ケチョンと蹴飛ばされて何処かへ行ってしまう。
結婚とはかくも悲しきものか。
仕方なく、妻に尖った石を何度か投げつけてみたが、オソロシイ仕返しをされるのでそれも控えることにした。
今や私のポケットは、行き場を失ったキレイな石ころではいっぱいである。
年老いて背中も丸くなり、ヨチヨチ歩く他ない老夫婦になったら、また妻にも言葉の石ころが必要になるだろう。その時、妻にキレイな言葉の石ころを渡す責任が私にはある。これからも私は、拾った言葉の石ころをポケットに詰めていく。