サイゼリヤ

いい生活について

妻のいない日、ぼくは一人でサイゼリヤに行く。

サイゼリヤに入ったら、まず最初にアロスティチーニを注文する。

席に着くなり、メニューも見ずに注文用紙に『1402(アロスティチーニ)』『5101(セットドリンクバー)』と書いて店員に渡したっていいのだけれど、あんまりにも品のない振る舞いだろうから、メニューを見て悩むふりをする。

本当は、メニューなんか見なくたって、必要な番号は頭に入っている。

『1202(小エビのサラダ)』

『1402(アロスティチーニ)』

『1404(ポップコーンシュリンプ)』

『1410(ムール貝のガーリック焼き)』

『2101(ミラノ風ドリア)』

『2301(タラコソースシシリー風)』

『2407(ディアボラ風ハンバーグ)』

『2402(若鶏のディアボラ風)』

『3405(赤ワイン)』

『4304(野菜ペースト)』

『5101(セットドリンクバー)』

写真を眺めて、メインはドリアにしようか、パスタにしようか、ハンバーグか若鶏にしようか、考える事と言えばそれくらいだ。

とにもかくにも、『1402』と『5101』だ。悩むふりを切り上げて、注文用紙に書き込む。

店員を呼んで注文用紙を渡したら、あとは本を読むか、Netflixでスタンドアップコメディを観る。

サイゼリヤはいつだって騒がしい。食器のぶつかる音とか、赤ちゃんの泣き声、高校生の喋り声、おばさんらの笑い声で満ちている。

喧噪の中に身を置いて、心地いいと思えるのは、ぼくが幸せだからだろうか。大人になった、とも言えるのかもしれない。

昔は、とてもじゃないけど耐えられなかった。

すぐにイヤホンを耳にさしこんで、音楽以外はまったく何も聞こえなくなるような、視神経までブンブン振動するような音量で、ロックバンドやヒップホップ、とにかく激しい曲を聴いていた。

あの頃に比べると、ずいぶんと世界は明るくなった。世界が変わったわけじゃなくて、変わったのはきっと僕だろうけど。

星野源と若林が対談するNetflixの番組『LIGHTHOUSE』で若林が「若いときの方が老いてた」というようなことを言っていたけれど、それが僕にはよくわかる。

ぼくも、二十代の後半よりも、前半の方が老いていた。

あの頃、なにもできない自分を抱えて歩く人生がとんでもなくしんどかった。

今よりも、あの頃の方がよっぽどお先真っ暗だった。

余裕がなかった。

サイゼリヤがこんなに素晴らしい場所だと、あの頃は気づきもしなかった。

ほんとに、ぼくは何もわかっていなかった。

仲良くなりたい女の子がいたら、回らないお寿司屋さんに連れて行った。京都の納涼床でステーキを食べた。大阪でバカみたいな値段の焼肉を食べた。

きっと、あの頃ぼくとデートしてくれた女の子たちはみんな、ぼくの背伸びをありのまま背伸びとして見ていたんだろうなと思う。それはそれで、彼女たちは嬉しく思ってくれていたのかもしれない。

あの子たちは僕を見て、背伸びなんてしなくていいのに。とも思っていたかもしれない。

あの頃のデートは、お金をかけても今ほど素敵なデートじゃなかった。(彼女たちは文句なく素敵だったけれど)

サイゼリヤで、タラコソースシシリー風を食べながら、本を読んだり、Netflixを観て、妻からのしつこいlineを返している今の方が、あの頃よりもよっぽど優雅でいい生活をしていると思う。

まあでも、妻だってちょっといいお店に行くとあからさまにご機嫌になる。

妻はいつだって等身大の僕と向き合っているんだから、たまには僕に背伸びしてもらいたいんだろう。当たり前だ。

背伸びはたまにしかできないけれど、サイゼリヤには妻ともよく行く。

妻とサイゼリヤに行ったら、ぼくは『1402(アロスティチーニ)』を我慢して、そのかわりに、妻の大好きな『1401(辛味チキン)』を注文する。

たった一品を我慢するだけで、なんだかとっても余裕のある男になれた気がする。