焼肉屋湖南と友人の友人

阿漕(あこぎ)駅のロータリーから阿漕浦の方へ向かって歩いてすぐ、23号線と合流する交差点のそばに湖南というさびれた焼肉屋がある。


小さなおばあちゃんが一人で対応するその焼肉屋は、建物は古いが手入れは行き届いていて、座敷席に座れば寺の中にいるような安心感がある。それは長年地元の人間に愛されているからこそ出せる空気であろう。

すりガラスの引き戸をガラガラと開けて、柔らかな手触りの藍色暖簾をくぐって店内に入ると、焼肉の美味しそうな匂いに包まれ、おばあちゃんが微笑みかけてくる。疲れきった大人たちは皆、そのおばあちゃんの無言の微笑みに子どものころに通った駄菓子屋を思い出して涙を流す。

ライスの大は200円で、どの肉を頼んでもその値段は1000円をこえない。名物であるシメの鍋はわずか700円。まともな現代人なら皆すべからく警戒心を抱かざるをえないその時代錯誤な価格設定を見事に裏切る味の良さ。


焼肉屋湖南こそ津市の誇る唯一無二の名店である。

とある月曜の夜18時10分。津市は大きな雨雲に覆われていた。しとしとと雨が降り、水族館のような静けさと涼しさであった。珍しく定時で仕事を切り上げた私は焼肉屋湖南の前で久保田の瓶を抱えて一人立ち尽くしていた。


E君から久しぶりの夜ご飯の誘いであった。

自然をこよなく愛するわんぱく少年であったE君であったが、何が彼を変えてしまったのか、今では東京で金持ちをターゲットに絞って高額な不動産を売りさばいているらしい。一都三県しか扱っていないと誇らしげであった。生意気である。一戸三軒の間違いではないのかと私は疑っている。

すっかり卑猥な東京色に染まったE君は、帰宅ラッシュ時の23号線の混雑をまったく予想できず大幅な遅刻をすることになった。

焼肉屋の中にはE君の友人2人が先んじて居るらしい。私とはちょっとした顔見知りである。一言で言って友人の友人である。
友人の友人ほどオソロシイ関係もそうないだろう。なにせ口の軽いE君のせいで、お互いがお互いの黒歴史をバッチリ知っているのだから。そのくせ互いの良いところはあまり知らない。

雨が強くなってきたので、観念して単身乗り込むことにした。友人の友人と、手に汗握る探り合いの会話をするため、ガラガラと引き戸を開いて店内に入る。


奥の座敷席に2人の男が座っていた。

笑顔の張り付いた大柄な男と、妙に背中の広い優しげな顔の男だ。2人は顔を寄せ合って猥談にふけっていた。どちらの男も顔見知りである。高校時代、ラグビーの試合で何度か荒々しく身体をぶつけ合い、試合が終わると紳士的な握手を交わした。


笑顔の張り付いた大柄な男の方は、6月に江戸橋の海の近くでシーシャバーをオープンしたらしい。私が胸に抱えている久保田の瓶はそのオープン記念を祝う酒である。午前中、E君からシーシャバーの話を聞いてしまっていたから、手ぶらで行くわけにもいかず、家に転がっていた久保田の空き瓶に、自販機で買った鬼ころしをドボドボ注いでなんとか間に合わせた。


「シーシャバー、開店おめでとう」と言って久保田の瓶を渡す。笑顔の張り付いたシーシャバーの男の顔がよりいっそう笑った。なんとも助平な笑顔だと思った。


妙に背中の広い優しげな顔の男は、E君から聞いた話によると由緒正しい伊賀忍者の末裔であるらしい。彼からそんな怪しい雰囲気はしないが、それが逆に怪しい。伊賀の山奥に屋敷をかまえていて、日中は何食わぬ顔で働き、夜な夜なインポッシブルなミッションをこなして荒稼ぎ、車のマフラーに異常な愛着を持ち、代々伝わる由緒正しき骨董品を質に入れては、手当たり次第に古今東西のマフラーを買い漁っているらしい。

シーシャバーの男と伊賀忍者の末裔、そんな2人と鉄板を囲んで楽しくないわけがない。ライス片手に肉を突きながらワイワイと喋った。シーシャバーの男はシーシャバー開店をめぐる命がけの戦いを熱く語り、伊賀忍者の男は青春のギターを泣く泣く質屋に入れて購入したマフラーの思い出を語り、私はE君が心の奥底にしまってしまった彼の中学時代の黒歴史を2人に披露した。

E君そっちのけでシメの鍋にかかろうかと話しているところに、ようやくE君が到着した。腹を空かせたE君のために我々は肉を追加した。そして私とシーシャ男と伊賀忍者は、E君と同じくらいの量の肉をしれっと食べた。


E君の登場後、私以外の3人が私の知らない人間について話す機会が増えた。そのたびに私は伊賀忍者の目を盗み彼の育てた肉を食い、シーシャ男の目を盗み彼のコップから酒を飲み、E君の目を盗み彼の取皿にあった肉を鉄板のすみに転がる真っ黒焦げな肉と入れ替えた。

かくして私にはその日あたらしく2人の友人ができた。幸運なことにあたらしい2人の友人はゴルフもやるらしい。つまり2人は友人でもありライバルでもあることになる。


友人の友人という存在のなんたるステキなことか。彼らと私は語り合うべき共通の友人E君に関する思い出を持つ。そしてこれからはE君とのスケジュール調整が楽になる。何より4人で予約をとればゴルフは安くなる。

そして友人の友人が、あらためて友人となることのなんたるステキなことか。これから私は仕事に疲れたら江戸橋にある友人のシーシャバーに行き、チルすることができる。かっこいい車に乗りたければ伊賀の山奥で忍者屋敷に住む友人を訪ねて、かっこいいマフラーのかっこいい車に乗せてもらえる。

いつの日か、新しい友人に私の古い友人を紹介する楽しみもできた。

場所はもちろんあの焼肉屋湖南である。


謝辞
置き去りにされるというのに、夜な夜な焼肉を食べに行くことを赦してくれた心の広い妻に感謝を。


E君へ E君への手紙

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