E君への手紙

E君へ

「良い一日を過ごすための朝の過ごし方について、ブログに記事を書いて欲しい」

そんな依頼が来た。中学時代から付き合いのある、親友のE君からだ。困っているなら、助ける他ない。私は腕まくりをして、机に向かって、頭をひねった。額に脂汗を浮かべて、真剣に考えた。良い一日とは何ぞや、そのための朝の過ごし方とはこれ如何に、私の脳は、スーパーコンピューター「富岳」をも置き去りにする速度でグワングワンと計算を始めた。ニューロンがバチバチと輝き、シナプスが焼き切れるほどの情報が脳内を駆け巡る。目の前で火花が散った。

やがて、一つの疑問が浮かび上がってきた。

「コイツは、本当に俺のブログを読んでいるのか?」

良い一日どころか、穏やかな小一時間すらままならない。そういった私の生活を、ありありと書いているはずだ。妻が怖いんだ。心が休まらないんだ!!

呑気な親友に、あんまりにも腹が立ったので、日本酒を飲んだ。私は今、酔っぱらっている。

このまま、書き上げる所存である。

「E君よ、いやEよ、心して読め!」

もしも、私が良い一日を過ごそうと思えば、前日の内に、妻を、妻の実家である愛知に帰す他ない。

妻は、そう簡単には帰らない。特急に乗せてやらないといけない。指定席でないといけない。手土産を持たせないといけない。帰りの切符も買ってやらないといけない。

これだけでも、五千円は優に超える。五千円あれば、「スプラトゥーン3」をもう一本買うことができる。ちくま文庫の、「内田百閒集成」が9冊買える。大金だ。

ただ帰すだけでもいけない。妻は用事がないと帰らない。せっかく、妻に、妻の友人からの誘いがあって、

「行っておいで、私は一人でも大丈夫だから」

なんて言っても、コロナの感染者数が増えれば、妻は帰らない。それどころか、友人の誘いを断った分のやるせなさ、コロナへのぶつけようのない怒り、それら全てを、この身一つで受けきってやらねばならない。

妻の帰省プロジェクトは、命がけである。

運よく、感染者数が少なく、妻が帰ることになったとしても、安心はできない。

都会は人が多く、怖い所だ。誰かが妻に、肩をぶつけようものなら、あるいはどこかの店員が、都会の喧騒の中働くのに嫌気がさして、妻に不遜な態度をとれば、あるいはお義母様の機嫌がたまたま悪く、妻と小競り合いがあれば、あるいはシンプルに、妻の虫の居所が悪ければ、愛知に居ようがブラジルに居ようが、妻は私に電話をかけ、

「ねえ、どう思う!?私が正しいよねえ!?」

と世界か妻かの二者択一を迫る。

「まあまあ、気を落ち着けて」

なだめて、私は泣く泣く、LINEギフトで、ミスタードーナツや、スターバックスコーヒーのギフト券を献上する。

ちくま文庫の「内間百閒集成」がもう二冊買える。

E君は、学歴はもはや国内においてはカンストしており、そのキャリアもコツコツと努力を重ねて、これ以上ない物を積み上げている。数年前、光栄にも、結婚式に招待された。その節はありがとう。

式は素晴らしかった。会場は清水寺のすぐ目の前で申し分なかった。格式高い式場は圧巻であった。

ガチガチの二足歩行で、黒五つ紋付羽織袴を着て入場したE君をニヤニヤと見ていたら、満を持して奥様が入場した。

白無垢を着て入場したその女性に、男性陣も女性陣も息をのんだ。月に帰り損ねたのか、かぐや姫と思わしき神々しい女性がそこには立っていた。E君を見てもニヤニヤするだけであったが、その白無垢は、私の涙を誘った。

そんなステキな二人も、今となっては、とはいかない。

今でもE君は妻一筋であり、揺さぶってみても何の面白みもなく、

「僕は、妻を愛しているんだ」

なんて繰り返すばかりで面白くない。

俺だって、妻を愛しているさ。

酔った勢いで、一気呵成に書いたから、言葉は荒れたかもしれない。

君のために書いたのだから、良いだろう。許してくれ。

私から君に言えることは一つだ。

良い一日を過ごしたければ、朝から心を尽くして、妻を愛しなさい。

「月に帰ってしまうぞ!」