「夏めいてきやがったな」
今朝の、私の寝覚めの第一声である。
すこぶる気持ちのよい覚醒であった。
世俗では五月の六日ごろを立夏(リッカ)と呼び、夏の始まりとしているそうだ。
しかし、私の夏は今日始まった。
夏が始まったかどうかは、寝覚めの気持ち良さでわかる。
夏が来たのだ。ああ、嬉しい。
今日、五月三十日から、また秋がやってくるまでずっと、私には最高の寝覚めが毎日訪れる。
こんなに嬉しいことはない。
冬の朝は辛い。
うっとうしい目覚ましに起こされても、脳みそは冷蔵庫に寝かしたカレーみたいにコッテリとまどろんで、夢かうつつか判然としない。
寒い寒い冬の朝に、ベッドからモゾモゾと這い出るときのあの辛さはいったいなんだ。
雪をかきわけて顔を出す、ふきのとうだってもっと気楽に芽吹いている気がする。
うららかな春の朝の絶望。あれはいったいなんだ。
花粉が憎い。
春の朝は地獄である。鼻水に溺れかけて目を覚ます。死にもの狂いで枕元に置いたスコッティで鼻をかむ。
次に思うことは「喉がかゆい」である。つい舌で喉を触ってしまう。これが痛い。
涙ぐむ目もかゆい。掻けばまた痛い。
地獄からの解放は、突然である。
今日、ついにその日がきたのだ。
目覚ましが鳴る前から、瞼が勝手に持ち上がる。瞳は目薬をさしたばかりのように潤っている。
脳みそはシワの奥の奥まで水あらいでもしたみたいに澄んでいる。覚醒したその瞬間から、四書五経をそらんじてしまいそうなほどである。
これからしばらく、そんな夢のような朝が続く。
起きるなり鳩と戯れ、トランペットを吹き鳴らすパズーの朝にも負けない、素敵な朝の連続である。
なにより、かしましい目覚まし時計よりも先に朝を始められるのが良い。
シータにも勝る妻の寝顔を眺めていられる。
やがて妻が起きると、私はあの日のパズーとまったく同じセリフを口にする。
「ひょっとすると天使じゃないかって心配してたんだ」