草枕、恐妻家の芸術論

ダイエット宣言

電車の中、ゴトゴト揺られながら、こんなことを考えた。


理屈をコネれば妻が怒る。ご機嫌をとれば財布が痩せる。意見を通そうとすれば家を追い出される。とかくに結婚生活は生き辛い。


生きづらさが高じると現実逃避がしたくなる。長いこと妻と暮らしてきたわけだから、逃避した先の妄想世界でも妻が顔をだす。妻から逃げることはできないと悟った時、ユーモアが生まれて、ブログが出来上がる。


結婚生活を作ったのは、神でもなければ、鬼でもない(いや、鬼かもしれない)。
結婚生活を作ったのは、やはり私と妻である。
それはかつての彼氏と彼女であって、要するに恋人同士であり、愛し合った2人である。


愛しあった2人が作り出したはずの世界が、これほど殺伐としていて、住みづらいのか。
この世界が住み辛いからといって、簡単に引っ越す訳にもいかぬ。
越すことのならぬ世界が住みにくいなら、住みにくいところをどれほどかくつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここにブロガーという天職ができて、ここに詩人という使命が降る。


恐妻家であり芸術家の士は、インターネットという世界において、強く振る舞い、ユーモアを持ってして世をのどかにし、同じように苦しむ恐妻家の心を豊かにするが故に尊い。
生き辛き結婚生活から、生き辛き煩いを引き抜いて、幸せな世界をまのあたりに写すのが、ブログである。詩である。


芸術に、妻の怒りの炎を、観たままに写さないでもよい。ただ、まのあたりに妻を眺めれば、可愛らしい笑い声も愛らしい旋律の美しい音も脳裏に起こる。
妻の笑顔が咲くのを待たなくとも、五彩の美しいその花は自ら心眼に映る。


ユーモアのある強き恐妻家であるならば、かく人の世を観じ得る点において、かく妻を悪く思う気持ちから解脱する点において、かく愛の核心を知り得る点において、千金の子よりも、大国の君主よりも、あらゆる俗界の風雲児よりも幸福である。

妻と生きること1年にして、生きるに甲斐ある世と知った。2年にして、妻の喜怒は表裏の如く、笑顔の後にはきっと怒りがくると知った。4年の今日はこう思っている。妻の喜びの深きとき、その後の怒り、いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。(私の苦しみのことだ)

妻を遠ざけようとしても、かえって怒りは増してこちらの身が持たぬ。仲なおりしようにも術がわからぬ。金が大事だ。金はいつでも根本的な解決をもたらす。同棲は楽しい。長く続けばかえって同棲せぬ恋人たちが羨ましかろ。インスタグラムにいる幾千万の物言わぬ美女たちが私の気力を支えている。背中には妻の怒りと仕事のプレッシャーを背負っている。

私の考えがここまで漂流してきた時に、電車は愛知に到着した。

今日は妻から許可を得て、少しの暇をいただいた。
世の平衡を保つためにも、帰る時には、妻の大好きな天むすを土産に買って帰ろう。