映画「沈黙のパレード」

映画「沈黙のパレード」

一番美しい愛の物語は「容疑者Xの献身」だと思っている。

今、上映されている「沈黙のパレード」も負けず劣らずの名作だった。

原作は勿論のこと、キャスト、脚本、監督、最高のメンバーだったんだろうな。

原作は東野圭吾、小説を読まない人でも、僕と同年代なら知っていると思う。福山雅治が主演を務めるドラマ「ガリレオシリーズ」。

「ガリレオシリーズ」は、福山雅治が演じる、天才物理学者、湯川学が、難事件を解決していく、王道ミステリ。

天才物理学者であるから、世間離れした変人が、博覧強記ぶりを発揮して、方程式を解くように、機械的に難事件を解決していく物語、だと思って観ていない人は、観れば間違いなくひっくり返されることを約束する。

本当の天才とは、天才故に、かくも優しく、かくも辛いものであるのか、そんな物語を、凡人である僕に語ってくれる。東野圭吾は間違いなく天才だと思う。

探求心、好奇心、それらに釣り合うだけの正義感に責任感、天才物理学者、湯川学が戦うのは、犯人のトリックではない。解くべきかどうか、裁くべきかどうか、誰が幸せになるべきか、悪人じゃなくとも、罪を背負うことがある。

「あなたなら、この罪の裁きを、司法に委ねますか?」

常に、それが「ガリレオシリーズ」の命題であるように思える。

たった今公開中の「沈黙のパレード」は、「ガリレオシリーズ」の映画では三本目だ。

「容疑者Xの献身」「真夏の方程式」「沈黙のパレード」の順だ。

今、公開されている「沈黙のパレード」は、三本の中でも、最も映画館向きの作品だと思う。

ある意味では、映画館で観るなら、一番、心してかからねばならない作品だった。迂闊だった。

僕は開始三十分で半泣きだった。あんな子を、殺さなくたっていいじゃないか。そこから始まる。

この物語の容疑者Xは、被害者の女性を大切に想っていた普通の人たちだ。容疑者Xは一人じゃない。

「偽証罪というのはありますよね。では沈黙罪というのはあるんでしょうか」

容疑者である一人の女性にそう問いかけられた草薙刑事の苦しみが痛い。

草薙に何度も訪れる決断の時、やがて物語はエンディングに収束していき、引き返し不可能な点へと到達する。

草薙刑事役を演じた北村一輝を称賛したい。感動しました。

どれだけ辛かろうと、自分の仕事に徹するしかないその苦悩を、完璧に演じていた。

寂しくも圧巻のラストに打ちのめされて、

「ああ、いい映画だった」

と思ってエンドロールを観ていると、やられた。

エンディングソングがやばかった。あんな歌、泣かずにいられるか。

映画中、少し気になっていたのだけれど、被害者の女性にスポットライトを当てる時間を短く感じていた。この映画は、残された人たちの物語であったのだから当然なのだけど。

被害者の女性が、残された人たちに残した歌。

「ごめんなさい 君にサヨナラも言えずに わたしひとり星になったね」

「いつか いつの日にか 君がわたしのこと 泣かずに思い出せるように 君の物語の邪魔しないように」

「君が 誰か愛し 愛されますように 本当は少し寂しいけれど」

やめてくれよ。

泣いちゃうじゃないか。

もう一度、映画館で観たい。

久々に、やられた一作だった。