趣味のあう恋人

その後の、お尻

妻とは趣味があわない。

そんなことは、結婚する前からわかっていたことで、なんなら付き合う前からだってわかっていた。

妻と趣味が合わないことについて不満があるか、と訊かれても返答に困る。

困っているような気もするし、これっぽっちも困っていないような気もする。

僕が、「妻と僕は趣味があわない」と思っているのだから、妻だって、「夫と私は趣味があわない」と思っているだろう。

だからって、それで彼女が困っているとも思えない。

たとえば僕が三代目ジェイソウルブラザーズのライブに行くことを何よりも楽しみにしていて、会場につくなり普段より3オクターブも高い声で「イマイチ―! ガンチャーン!」と叫んでいたら、妻は喜ぶだろうか。

きっと喜ばないだろう。

僕は映画館で映画を観るのが好きだ。スマホの電源を切って、ハーフ&ハーフのポップコーンとコーラのLサイズを持って、映画の世界にのめりこむ。

僕は本当に映画館が好きで、独身のときには一日に三本くらい観る休日があった。

妻は映画にまったく付き合ってくれない。「映画を観るくらいなら、喫茶店に連れていけ、そして美味しい物を食わせろ」と言ってくる。

どちらかが折れるのが、夫婦仲円満のコツである。

妻は絶対に折れないから、折れるのは常に僕の役目だ。僕の人生から、映画館は消えた。

趣味のあう人と付き合えば幸せだろうか?

自分の趣味の時間にガールフレンドが入り込んでくることを喜べるかどうか、これはちょっと自信がない。

と言うか、僕の場合は趣味も仕事もほっぽり出して会いに行きたくなるような女性を恋愛対象としてきたから、よくわからない。

何もかもほっぽり出して会いに行った女性が、僕よりも映画に集中していたら、それはそれで少し悲しい気もする。

幸か不幸か、僕はマッチングアプリをついぞ経験せぬまま結婚した。

アプリの宣伝から推測するに、世間一般の認識では、「趣味のあう人とマッチングした方が幸せになる確率が高い」とされているみたいだ。

趣味のあう人とマッチングしたら、趣味にまつわるデートをするのだろうか。

映画デートとか、読書デート、キャンプデート、僕はどれもうまくいく気がしない。

たとえば映画デートに行ってみて、彼女が僕なんかそっちのけで映画に集中しまくっていたら、それはやっぱり悲しい。

かといって、僕の方ばかりチラチラ見てきたら、映画に集中しろよ。と思ってしまう。

自分の大切な趣味を、恋人と会う口実にしない方がいいだろう。

部活の試合にガールフレンドを呼ぶと、勝っても負けてもクサイ感じになるあの残念感に似ている。

それなら、ただ恋人に会いたいがために、したくもないことをした方がよっぽど素敵だろう。

テスト期間中、勉強する気なんてまったくないのに、勉強を理由に、ちょっと真面目なガールフレンドの家に行くようなワクワク感。

そっちの方が素敵だろう。

やっぱり、趣味のあう人を探したくなる気持ちは、僕にはわからない。

ここまで書いて、ある考えが頭をよぎった。

もしかしたら、恋人を作りたいがために、偽りの趣味を語り、偽りのデートをするような人がいるのかもしれない。

そうだとしたらもったいない。文明の利器の無駄遣いである。文化の発展はいつだって、技術の発展に遅れをとってはなるまい。

マッチングアプリを使う一番の利点はきっと、等身大の自分でも受け入れてくれる世にも珍しい人を、効率よく見つけられることじゃないだろうか。

そんな世にも珍しい人と出会ったら、きっと今の趣味なんてどうでもよくなる。やっぱり趣味があう必要なんてないだろう。

少なくとも僕にとっては、ただただ喋りたい。笑わせたいと思える女性が理想だ。

もしかしたら妻は、僕と向かい合って語り合う時間を作るために、僕をしつこく喫茶店に誘うのかもしれない。

そう思うと、なかなか可愛い。

可愛すぎて、「なにもかもほっぽり出して映画を観に行きたい」なんて、とてもじゃないけど言える気がしない。