突然だが、なぞなぞである。
筆者の身体の部位のうち、自他共に最もチャーミングだと認められている部位はどこか。
ヒント、白くて丸い。
答えは、お尻である。
以前、このブログに書いたように、筆者のお尻はたいそう可愛い。そして、その可愛らしいお尻は近頃、主の勤勉さに耐えかね、痛みという形で悲鳴をあげた。
お尻の主である筆者も、お尻の痛みに耐えかねて悲鳴をあげた。勤勉は罪である。
当時の記録はこちらである。
今回は、その後のお話である。
筆者はあまりにもケツが痛いので、このままでは痔になる。と、いつになく真剣におびえた。
真剣におびえた筆者は、ケツを引き締めながらどこかへ出かけるたびに、ケツにまつわるグッズ、情報を鵜の目鷹の目で探した。
名古屋駅の高島屋で、尻活(しりかつ)なるコーナーを見つけた。
尻活コーナーの前を何度も往復して、さりげなく横眼で尻活の極意が記された看板を読んだ。読み切るために5往復もした。
5往復も看板の前を通り過ぎた筆者が、「歩きすぎもお尻によくない」と知ったときの絶望たるや、筆舌に尽くし難いものがあった。筆舌に尽くし難いので、書けないし、書かない。
しかも、そこで尻活のために売られていた座布団が4万円もした。
4万円と言えば大金である。見た瞬間に、筆者のケツは、キュウッ!と小さな悲鳴をあげて引き締まり、筆者はその場に立ち尽くしてしまった。
座布団の値札を目にして、ケツを引き締め硬直している筆者を、慈愛の笑顔に満ちたケツの引き締まった女性店員の目が捉えた。
なにやらウンウン頷きながら、近づいてくる。筆者は女性店員に頭を下げ、硬直したケツを強引に揉んでほぐし、その場から逃げるようにして立ち去った。
自らのケツのコンディションを考えると、あの自信に満ちた店員の接客は恐ろしい。
きっと、座布団に座らされた筆者は、
「たしかにこれは、4万円の座布団ですね」と、言ってしまっただろう。
そして、買ってしまって、家に帰ってから妻には、
「今日は良い座布団を買いました。8千円もしましたよ」
なんて言っていただろう。
過少申告は夫婦円満の極意である。
筆者は「良い物を永く使いたい」と、常々言っているような人間なので、こういった一点買いの営業にはすこぶる弱いのである。
筆者は、4万円の座布団を見たことによって、尻にまつわるグッズへの購買意欲を失った。
「どうせなら良い物を買いたい」の精神はつまり「良い物以外はいらない」である。
主の性格を嫌と言うほどに知っている筆者のお尻は、どれほど落胆しただろうか。
ほどなくして、筆者はお尻から手痛い復讐をうけることになる。
筆者の臀部(でんぶ)は、ケツと言うよりかはお尻。お尻と言うよりかはおちりである。それくらいに丸くて白くて可愛い。
そんな可愛いおちりが、ある日ついにへそを曲げた。
その日、いつものように筆者はPCを睨みつけて、筆者本人も脱出不可能な迷路の如くややこしい図面をかいたり、どこから出てきたのかも分からぬ数字をかき集めて、本人にさえも訳の分からぬ表やグラフを作ったりしていた。
いつもの癖で、お尻に優しくない職場の椅子の上で、お尻の位置をモギュモギュと確認した。
すると、お尻がちっとも痛くないのである。
「おい、どうした」
ついつい、筆者はおちりに問いかけたが、筆者のおちりはウンともスンとも言わない。
立ち上がって、何度か揉んでみても、おちりはダンマリである。
痛くないのは良いことだが、揉んでみても気持ちよくない。痛くないのに、いつもよりも張っている感じがするおちりは、まるで怒って頬を膨らましている幼女のようだった。
「おい、なんとか言えよ」
筆者の問いかけも虚しく、おちりは沈黙するばかりであった。もの言わぬ、なにやらジーンと痺れたような、いつになく存在感のあるおちりがあるばかりであった。
翌朝、寝覚めてすぐにおちりを揉んでみたが、相変わらず反応はない。張った感じがズーンとあるばかりである。
妻を呼びつけて、念入りにおちりを揉ませてみたが、それでもおちりはダンマリを決め込んでいた。
おちりとの対話を諦めて、なんとなく投げやりな感じで筆者が靴下を履こうとしたとき、ソレは来た。
「うぐああ」
筆者は悲鳴をあげて、その場に沈みこんだ。
尻を揉ませた妻に、腰をハンマーで殴られたのかと思った。ぎっくり腰である。
ぎっくり腰は、突然にやってくる。重い物を持ち上げたときなんかは来ないが、靴下を履こうとしたときや、床に置いたカバンを持ち上げようとするとき、何気ない日常の動作をしたときに、ソレは来る。
あまりにも突然、とんでもない痛みが走ることから、欧米ではぎっくり腰を「魔女の一撃」と呼ぶ。
高校生の頃からラグビーをしていて腰痛と付き合いの長い筆者は自分の甘さを恥じた。
ぎっくり腰は、腰の疲れからではなく、太ももやお尻の疲れからくるのが、常識である。
振り飛車が、急戦型の居飛車の銀を、五段目にあげさせてはいけない。それくらいにわかり切った定石を、筆者は見逃したのだ。
しかし、わかっていてもやはりどうしようもなかっただろう。
あの4万円もする座布団の購入を見送った瞬間から、こうなることは決まっていたような気がする。
勤勉に生きるのにも、案外と金はかかるのかもしれない。