思っていた「大人」になれたかどうかはともかく、いつの間にか大人になっていた。
高齢化社会において、二十九歳はまだ若い分類に入るかもしれないけれど、自ら「まだまだ若いぜ」と言うのは恥ずかしい年齢だ。
すくなくとも、「おじさん」のスタートラインには立っただろう。じゃあ同年代の女性陣はおばさんに見えるか、と聞かれれば答えはノーだけど、自分のことは過剰なくらいにおじさんだと思っておいた方がいいだろう。
僕はもう「おじさん」だ。
ただし「”くたびれていない”おじさん」だ。
一応、しばらくはくたびれそうにない。と思っている。
子どもの頃は知らなかった、大人ってのは本当に忙しい。
幼い頃、「大人はすぐに忙しいと言う」と、ぶつくさ呟き、プリプリしながら、レゴブロックを積み上げたり、壁とキャッチボールをしていた。
ああ、本当に忙しかったんだな。と、おじさんになってわかった。
大人ってのは、目が回るくらいに忙しい。本当に目が回ってしまって、うっかり倒れてしまうくらいに忙しい。
そして、あの頃は知らなかった。
人間は忙しくたって退屈する。目が回るほどに忙しくたって、退屈できてしまう。ということを。
たった一度きりの人生だと言うのに、少しでも油断すると、すぐに退屈してしまう。
まわりから見て、キラキラしているとか、クリエイティブだとか言われるような仕事をしていたって、案外と本人は退屈していたりする。
本当にエキサイティングな瞬間が、毎日のように訪れたら、そんなに幸せなことはないだろう。
逆に、暇だからって、退屈しているとは限らない。
暇をつくって、退屈しない。
それがくたびれないコツだろう。
最近、ディズニーランドが話題になっていた。ガチ勢か金持ちでないと楽しめなくなった。と、テレビでも、ネットでも話題になっていた。
そうかなあ、と疑問に思った。
たしかに最新のアトラクションを楽しめなかったらショックだし、並んでばかりで一日が終わったら、残念だろう。
それでも、そうかなあ。と思った。
並んでばかりで一日が終わったら、それって悲しいことだろうか。ツマラナイだろうか。
最近、よくひっかかる。ふとした時に気にかかる。ある人が目に止まって、アレ? と思う。
「忙しく遊んで、退屈している」そんな人をたまに見かける。あるいは、自分がそうなっている時がある。
「ファスト映画」なんて、その最たるものではないだろうか。タイパ志向、早送りで映画を観る。まさに、忙しく遊んで、退屈している状態と言えるだろう。
ぼくは、どれだけ忙しくても、暇をみつけて、その中で全力で遊ぶ。そうやって生きるよう心がけている。
仕事のあいまの大切な人との些細なメッセージのやりとり、ちょっとお昼を食べに行くだけなのに渋滞につかまった時の車内の会話、読もう読もうと思って読めていない本を、鞄に入れて乗り込んだ電車。
大人にも、暇な時間はちゃんとある。ただ、退屈するかどうかは、個人の心がけにかかっている。
即今当処自己(今、ここ、自分)に集中しないと、ファスト映画ならぬ「ファスト人生」になってしまう気がして怖い。
退屈な時間を退屈なままに過ごした人生は、早送りで飛ばし観した映画のようになってしまわないだろうか。
僕は、それって、本当にコスパいいのか? と首をかしげてしまう。
すくなくとも、ぼくのなりたかった大人は、早送りで映画を観たりしない大人だった。
憧れたのは、ロマンチックな構図と、うなるようなセリフに彩られた、子どもにはちょっと退屈な映画をたくさん観ている大人だった。
そして、その感想を友人とゆっくり語り合う。
そんな大人でありたい。
もしも、このブログを読んでいる友人の中に、いつの間にか「ファスト人生」になってしまって、人生の再生速度の落とし方がわからなくなった人がいたら、アダムサンドラーが主演の映画「もしも昨日が選べたら」をオススメする。
昔の映画は、ゆっくりしていて心地がいい。ぜひ、早送りせずに観てほしい。