Dad Rock!

新しい「お疲れさま」

Dad Rockという言葉があるらしい。親の世代が聴く古いロックという意味だ。

海外の映画やドラマには、必ずと言っていいほどロック好きのオヤジが登場する。彼らは、いつも頭に青いバンダナを巻いていて、革ジャンにダメージジーンズ、年頃の娘にウザがられながらも、門限を守れと説教をして、仕上げに身振り手振りでギターソロの物まねをする。悲しいことに、だいたい妻に先立たれている。

彼らはACDC、レッドツェッペリン、ヴァンヘイレン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズあたりを愛している。ジャック・ブラック主演の映画「スクール・オブ・ロック」なんかを観ていただければ、分かりやすい。

僕は英語のことはよくわからないけれど、きっとDadRockは、そんな定番のオヤジ像とその周辺の音楽に対して、ある種の親しみをこめて使われている言葉だと思う。

だから、ピッタリの日本語はないんじゃないかなと思う。DadRockの直訳が「懐メロ」はないだろう。懐メロと訳してしまうと、DadRockの「味」みたいなものがあっさりなくなってしまうように感じる。

じゃあ日本のDadRockって何だろうと考えると、RCサクセション、サザンオールスターズ、奥田民生、エレファントカシマシ、が思い浮かぶのだけれど、怖ろしいことにこれは世間的にはグランパロックの可能性がある。

僕が中学生の頃に聴いていた音楽が、世間で言うところのDadRockになっている可能性がある。

10-FEET、RIZE、マキシマムザホルモン、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ONE OK ROCK、back number、みんな、若い子らからDadRockとして認識されているのではないだろうか。

なんせVaundyは24歳である。売れる歌手売れる歌手、みなみな自分よりも若いことに驚く。

suspended 4thのベーシストMutumiが年下だなんて、明らかに僕の直観に反する。

華々しく活躍している人間がみんな、年上のような気がするのは、まさに己の心の未熟さが見えたような気がして恥ずかしい。

どうやら、心は身体ほど上手に歳をとってくれないようだ。

さて、僕は中学・高校の頃に聴いた音楽を大人になっても聴き続けるつもりだった。

そして若い子らに、

「10-FEET? RIZE? なにそれー」

と言われる未来を想像していたのだけれど、なんだかちょっと具合が違うようだ。

僕は、僕がDadRockだと思っていた音楽を心地よく感じ始めている。

奥田民生とかサザンオールスターズがむちゃくちゃ落ち着くのだ。

そのうち矢沢永吉なんかを聴きだすのではないか。と、心配している。

洋楽にしても、RHCPなんて狂おしいほど好きだ。なんだったらスティービーワンダーでいい。

僕と同年代で京都大作戦に行く人とか、正気か?と思う。よくそれでモツな。と思う。

あの頃聴いていた音楽は、ランニングをするときに聴く分にはテンションが上がっていいけれど、日頃から聴く音楽としては激しすぎる。

音楽と記憶はものすごく強く結びつく。昔聴いていた音楽を聴けば、たちまちにその頃の記憶がフラッシュバックする。

僕はアホでノリやすいから、精神年齢だってたちまちにあの頃の自分に戻ってしまう。

学生の頃に聴いていた音楽を聴いて、あの頃の内面のトゲトゲした感じを、わざわざ思い出したくない。

あのトゲトゲした感じを思い出したうえで、職場で中間管理職に就くなんて不可能じゃないだろうか。

きっと部下や後輩は泣かすし、上司や先輩には噛みついてしまう。どちらも僕の年頃の役割ではないだろう。

その点、学生時代に退屈な音楽だと思っていた僕にとってのDadRockの聴き心地のよさと言ったらたまらない。

奥田民生やサザンオールスターズを聴いていれば、なるほど後輩や部下の愚痴は可愛く思えるし「一緒に肩の力抜こうや」と言ってやれる気がする。上司や先輩の無理難題も、仕方ないと思えるし、「みなさんも乗り越えてきたんですよね」と納得できる。

この頃の僕は、奥田民生の「愛のために」を励みにしている。

ここらへんで そろそろ僕が

その花を咲かせましょう

人のために 自分のために

引き受けましょう

立場はいろいろあれど、僕の同世代には、ピッタリの歌詞じゃないだろうか。