趣味のある男

新しい「お疲れさま」

趣味も仕事もほっぽり出して会いに行きたくなるような女性に出会って、恋に落ちれば楽しい。

坂口安吾が言うように、恋愛は人生の花で、このほかに花はない。

だからと言って、恋ばかりの男が面白いかと言えば、きっと面白くないだろう。

女も仕事もほっぽり出して、夢中になるような趣味のある男は面白い。

そんな男に、ずっと憧れていた。

憧れていた。と言うからには、自分にはその要素が欠けているというわけだ。

僕には趣味がない。

他人からはよく「多趣味でいいよね~」と言われる。もちろん、会話はスムーズな方がいいから、否定はしない。

心の中ではむちゃくちゃ否定したい。僕には趣味がない。

何かをしていても、それを堂々と趣味と言っていいのかわからない。

恋はわかる。

可愛い女性が目の前に現れる。テレビに映る綺麗な女性芸能人がみんな彼女に見えるようになる。彼女と会えなくなったり連絡がとれなくなると映画「ラ・ラ・ランド」を何度も観る。突然、自分の前髪を上げればいいのか下げればいいのかわからなくなる。

仕事もわかる。

何時間もパソコンに噛り付いて、出自不明の数字で用途不明のグラフを作る。絡まったスパゲッティみたいな配線をたどって機械に潜る。成功は当たり前、失敗は重罪。たまにつまみ食いするハッピーターンやうまい棒がめちゃくちゃ美味い。

趣味は……。

趣味は難しい。

楽しんでいれば趣味なのか、いや、違う。絶対に違う。

なにをしても、趣味と言って胸をはるには、ある程度の実績が必要な気がする。

例えば将棋、やはり初段にならないと、将棋が趣味です。とは言えない気がする。4級ではだめだろう。

例えば読書、「百年の孤独」を読んでいないし夏目漱石の「三四郎」も「吾輩は猫である」もちゃんと読んでいない。読書が趣味ですとは言えない。

例えば映画、「ダンサーインザダーク」を観ていないし、「メリーポピンズ」も観ていない。近頃はマーベルも何作か観ていなかったりする。映画観賞が趣味ですとは言えない。

ゴルフもダメだ。会社の付き合い以外ではラウンドに行かないし、練習なんて、もう一年くらいはしていない。絶対に趣味じゃない。

僕の日常と言えば、目を¥にして働くか勉強するか、目を♡にして出かけるか、そればかりだった。

素敵な女性に、「趣味はなんですか?」なんて訊かれると冷たい汗が背中をつたう。

「趣味はないんです」なんて絶対に言いたくない。でも、趣味と言えるほどのものがない。

中学生くらいの頃、なんとなく、ただ漠然と、趣味のないおっさんにはなりたくない。と思っていたのを覚えている。

働いて家に帰って寝るだけの人生なんて絶対に嫌だ。と思っていた。

いつの間にか僕は、働いて家に帰って寝るだけのおっさんになっている。

そして、そんな働いて家に帰って寝るだけを貫くおっさんに、少しだけ憧れている自分がいる。

いつからか、働いて家に帰って寝るだけの人が、男女問わずかっこよく見えるようになったのだ。

今よりもう少し大人になったら、素敵な女性に趣味を訊かれても「趣味はとくにないですね」って、堂々とこたえられるようになるのかもしれない。

渋い。かっこいい。

そしたら彼女は目を♡にして、

「イヤン、なんて大人なの! 今晩は家に帰らず私に付き合って! 寝かせないわよ!」

なんて言って、柔らかな胸を僕の腕に押しつけてくるかもしれない。

モテモテで困ってしまうかもしれない。

でもごめんね。僕は家に帰って寝なくちゃいけないんだ。