幸せの先行指数

新しい「お疲れさま」

これから数か月の間に、どれだけの建築物が新しく建つ予定であるとか、日本のサラリーマンがここ数週間でどれだけ働いただとか、賢い人たちは、そんなデータを眺めて景気の先行きを占っている。らしい。

「どこどこの海の天気が荒れるから石油は買いだ」とか「だれだれが高級食パンに手を出したけど立地が悪いから売りだ」とかだ。(知らんけど)

そんなこと、僕にはとてもできないけれど、もう少し小さなことならなんとか把握できる。

身のまわりの些細なことに目を向け、日常生活を数値化し整理すれば、少し先に訪れる幸せや不幸は、けっこう正確に占えるものである。

たとえば、妻の連日摂取カロリーに目を向ければ、一週間後の家庭の空気がわかる。

妻が三日連続で一日に2,500キロカロリーくらい食べていたら、来週はアウトである。妻は体重計に乗るたびに地団太を踏み、僕を罵るだろう。食卓からは肉が消え、新しいマヌカハニーのビンが三つ届く。

たとえば僕の場合、一週間のうちに一本の映画も観なかったら、一冊の本も読まなかったら、一度もそういった感動の機会がなかったら、来週の仕事はちょっと辛くなる。

もしも三日連続でベースを三十分も弾かなかったら、次に弾いたときには大きな水ぶくれが指にできるだろう。今、バカでかい水ぶくれが一個あってむちゃくちゃ痛い。

どんなふうに過ごせば、後でどんな気分になるか、だいたいの予想がつく年齢になった。

来週の幸せを考えて生きるのが、僕のお気に入りだ。

来週の自分が幸せになるように、毎日の過ごし方を調整する。

週はじめの三日で妻に八つ当たりされてペースが崩れても、二日ほどゆっくり深呼吸して、残りの二日で追い上げる。

逆に、週初めの二日くらい頑張れたら、二日くらい妻の機嫌をとりながらゆっくり過ごして、もう二日頑張ってみて、最後の一日は、幸せな来週を想像しながらハンモックでゆらゆら過ごす。

僕は楽観的な性格だから、一週間くらいで管理するのがちょうどいい。

一週間くらいなら、失敗しても次の一週間で巻き返せる気がするし、成功すれば、もうこのまま一生うまくいっちまうんじゃないか。と思える。

日常に潜む幸せを注意深くとらえれば、ほとんど毎週ハッピーに過ごせる。

誰かと一度でも楽しいやりとりがあれば、そのやりとりを気軽に思い出して何日でも気分よく過ごせるし、自慢するほどでもない仕事の成功を、自分だけの小さな誇りにしてまた働ける。

そう考えれば、自分の行動だって、誰かの幸せの先行指数になっているのかもしれない。

送ったメッセージ、電話で笑わせた回数、ちょっとしたお祝いのプレゼント、それらは大切な誰かの次の一日、来週、来月の笑顔の先行指数になりえる。

ところで、妻には不思議な先行指数がある。

送られてくるメッセージのハートが多ければ多いほど、メッセージの内容が甘ければ甘いほど、家で再会したときの機嫌が悪い。

これは恐ろしいギャップである。

もしも夕方、妻から付き合いたての頃のようなラブリーラブリーなメッセージが送られてきたら、その意味はほとんど死刑宣告である。

家に帰れば机がひっくり返っているか、僕のお気に入りのDEAN & DELUCAのマグカップが割れている。(妻のマリメッコのマグカップが割れることはない)

先行指数が何を占っているのか。そこをキチンと捉えないと、誤った判断をくだしてしまう。

甘い甘いメッセージと、機嫌の悪さのギャップには永いこと悩まされてきた。

だけど、甘いメッセージも機嫌の悪さも、甘えたさの表れだと思えば、なるほど納得がいく。

ちなみに、僕がどれだけ上手に妻を甘やかせたかは、来週の妻の財布のヒモの緩さの先行指数である。

ちょっとした八つ当たりでも、スタバは間違いない。うまくいけば焼肉だってあり得る。

妻の八つ当たりは絶対に買いである。