おけつの話

その後の、お尻

お尻の話である。

もし、突然にカメラを向けられて、

「体の中で、一番自信のある部位を撮らせてください」

と頼まれたら、私は迷うことなくズボンをおろして可愛らしいお尻をカメラに向ける。

昔から、筋肉には恵まれた。

腕も脚も、鍛えたらすぐに太くなった。体脂肪率を一桁まで絞っても、身長から体重を引いた数値は百を切ったくらいだ。

とくに鍛えなくとも、ジムで筋肉量を測定すればグラフは振り切った。カンストである。おかげで、ジムに入会する意味があるのか真剣に悩んでしまった。

しかし不思議なことに、お尻だけは大きくならない。

腕も脚も胸も、すぐに筋肉がついて大きくなるのに、なぜかお尻だけは鍛えるほどに小さくなる。

肌は日焼けしやすく、基本的には黒い。しかし、もとの色はものすごく白い。とてつもなく白い。その白さは、まるで降り積もったばかりの汚れなき雪のようである。

つまり、鍛えるほどに小さくなる私のお尻は、見惚れるほどに白いのである。

引き締まった小さな白いお尻は、それこそお風呂あがりなんて、ツルンとテカった感じがまっことかわゆい。

「玉の肌」とはまさにコレのことだろうと思う。

そんな愛すべき、愛されるべき私のお尻が、未だかつてないほどのピンチである。

仕事に行けば、設計をしていても、プログラミングをしていても、資料を作っていても、とにかく座りっぱなしである。

帰ってからも、座ってご飯を食べる。座って本を読む。勉強も座ってする。ベースを弾く時だって座っている。

未だかつてなく座っているのである。

起きている時間の九割は座っている。

近いうちきっと痔になるだろう。

どうしようもない。職場でも家でも座らないとできないことばかりしているのだ。

しかも、私には何にでも没頭する才能がある。

ひとたび集中すれば、四時間くらいは微動だにせずカタカタとパソコンをいじり続けるタイプの人間である。

その間、一切の身じろぎもない。

小さな、キュートなお尻に、永年の疲労が積もり積もったのだろう。

この頃、私のお尻はすぐに痺れてしまうのだ。

三十分も座っていると、お尻がジンジン痺れてしまう。

立ち上がってお尻を揉みほぐしてみても、痺れはまったくとれない。

お風呂に浸かるといいと聞いたが、お風呂に浸かっている間も座っているわけで、永く浸かっていると結局はお尻が痺れてくる。

私は根がストイックである。

筋トレでもランニングでも、辛いことをただ辛いとは思わない。なんとなく、辛いことが気持ちいと感じるタイプの人間である。

この記事を書いている間にも、また痺れがやってきた。

この痺れも気持ちいいと思いはじめている自分が怖い。

このストイックなMっぽい性質は、私の人格的欠陥だろう。お尻の痺れも、頑張ってる証拠のような気がして嫌いになれないのだ。

破滅していく過程に快楽を見出してはいけない。

破滅してからでは遅いのだ。

さすがの私でも、痔は気持ちよくなかろう。