【2022-07-02記事の書き直し】
暑い日が続いているのに、蝉の声はまだ聞こえない。蝉たちは何をしているのか、蝉の不在が私を不安にする。夏はまだ始まっていないと言うのか、このままでは身体が壊れてしまう。
私の好きな都都逸に、
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
という詩がある。
中学生の頃、この詩に感激した。
私の都都逸チャートTOP3に入る屈指の名作と言える。
しかし、私も恋愛経験を重ねる度に思い知ることになる。
蝉だって、身を焦がしている。
私は、正真正銘、蝉側の人間だった。
蝉は求愛のために鳴いている。蝉の世界では、声の大きな男が、モテる。
人間界では、そうもいかない。もう少し複雑だ。声が大きければ大きいほど、口数が多ければ多いほど、モテない時がある。
上手に笑わせてみても、チャラいだとか、軽いだとか、軽くあしらわれることもある。
「可愛いね」
その言葉一つでさえ、信じてもらえぬ時がある。
「誰にでも言っているのでしょう」
なんて言われた日にはお手上げである。
蝉であるから、恋の数だけ言ってきた人生である。
「しょせん、蝉でございますから」
そう言って首を垂れるしかない。
不可解なのは妻である。なにやらネットで洋服を購入する度に、
「可愛いですか?可愛いですか?」
と聞いてくるから、
「可愛いですよ」
と返すのだけれども、何やら信用されていない。
「へんっ」
とか言って自室へ引き返していく。答えはいつも己の心の中にあるのであろうと思う。
一介の蝉人間であるから、夏の朝、玄関に出て、往生際のオス蝉に出くわしたりなんてすると、切なくて仕方がない。その日一日の労働意欲がしぼんでしまうほどである。私はなかなか、ジジジと鳴く死に際のオス蝉から目が離せなくなる。
どうして、一生の幕が下りるその瞬間に、メスの蝉が傍に居ないのであろうか。
オスの蝉は、最後に何を想うのであろうか。
土の中で誓い合った、あの愛はどうなったんだ。私は憤る。
幼い頃、土の中で永遠の愛を誓い合った、あのメス蝉に、君の声は届いたのか。
「土からでたら、誰にも負けない声で、ミンミンしてやるからさ。君は僕の所へ飛んで来るんだよ。きっと幸せにするからね」
「ありがとう。私、絶対に貴方の声に気づくと思うわ。ああ、土の外に出るのはとっても怖かったのだけれども、あなたの声を想うと、楽しみで仕方がなくなってくるわ。私、飛ぶ前から、もうこんなに幸せよ」
いいじゃないか、蛍のようにキレイに光れなくとも、蝉の声に嘘はないのだから。