私には才色兼備な義妹がいる。
彼女はたいへんな読書家で、その柔和な人柄からは想像もつかぬ博覧強記ぶり。
そんな義妹君に一冊の本を薦められた。
三浦しをんの風が強く吹いているであった。
箱根駅伝を目指す若者を描いた青春小説である。
義妹君の心を惹きつけたのは、青春の青き炎であったのだと思う。しかし、私を襲ったのは身をよじるほどのノスタルジーであった。読んで悶えた。
高校生の頃より私のランニングライフは始まった。当時はラグビー部に所属していた。部活動が終わり20時頃に帰宅し、そのまま鈴鹿の町をランニングするのが私の毎日であった。
主人公の蔵原走と同じく、ただひたすらに走ることに喜びを感じていた。私の内にあったやり場のない青春エネルギーの全ては夜のランニングに注がれた。
無益に使われた青春エネルギーは凄まじい総量であった。なにしろラグビー部では夜の19時頃までむさ苦しい男の中で揉みくちゃにされていた。20時頃に帰宅してから走った距離は約8キロであった。それが毎日続くわけである。
驚異的な夜型人間であった私はそれだけ動いてもまだ眠ることができず、くだらない本を読み、ネットサーフィンをし、恋人と電話をし、2時頃に眠りについた。そして3時頃に決まって金縛りにあった。
気づけば私は相当な速度で走る長距離走者となっていた。
毎日部活後に8キロ走るという日課は、私に人並外れた脚力と肺活量を与えた。
速く走れるようになればなるほど、走るのが快感で仕方がなかった。
走るのが楽しくて、時時はいつものコースの倍の距離を走った。そこまで走るともうただの阿保である。私は走ることに憑りつかれていた。
明らかに自転車よりも速い速度で夜の町を駆け抜ける快感は、味わったことのある者にしかわからない。病みつきになる。
星のきらめく涼しい夜。鈴鹿山脈からの吹きおろしの風は強く、あたりはぽつりぽつりと街灯が灯るののみ。車の通りも少なく、聞こえるのは蛙の鳴き声だけだ。そこに一陣の風が吹く。かまいたちよろしく夜を走り抜ける私の後には、遠く足音が残るばかり。韋駄天のごとき走りには夜な夜な磨きがかかった。ついには列海王のごとく鈴鹿川の水面を蹴り、井田川駅から亀山駅までの区間を快速みえと並走していた。本当の話であるから恐ろしい。
もし私の走る姿をちびくろサンボが見かけたならば、バターになるぞと期待して、トースターで食パンを焼きだしたであろう。
ノスタルジーに押しつぶされそうになった私は早速ランニングに挑戦をした。
心臓の病気で倒れて以来である。
走ってはみたものの、まるっきり体が進まなかった。私は翼を失っていた。意地になって津駅のまわりをぐるりと大きくまわった。スマートフォンが7キロ走ったと教えてくれたが、私は小さな電子機器の精度を信頼しない。間違いなく15キロは走った。足が震えていた。
もう私は飛べないのか。そう落胆した私は骨の髄まで響く重低音の洋楽から、マカロニえんぴつに切り替え、まろまろと歩きだした。
マカロニえんぴつは楽曲MUSICの中で私に語りかける。「飛べないうちは頑張って歩くかな」それを聴いて私は奮い立った。翼を取り戻すその日までは、まろまろと歩くが如く速度で走り続けるしかないと。
かくして私のランニングライフは今ここに取り戻されたのである。