PMS怒りの権化~八つ当たるは人の道ならず~

草枕、恐妻家の芸術論

海の水が雲となり、雲はやがて雨となり山を下ってまた海に帰る。万物は巡っている。これすなわち森羅万象の法則なり。妻のイライラ期も一定の規則性を持っているように思われる。冬が終わり春が訪れるように、ごく当然のように妻は毎月イライラ期に入る。四季が我我の感情を揺さぶるように、妻のイライラ期は私の感情を揺さぶる。揺さぶるというか、私はたった今もぶるぶると震えている。肉食獣に睨まれた野ウサギのようにだ。そう、妻のイライラ期がやってきた。

妻がイライラ期に突入する度にビクついていては、家長としての威厳がない。妻のイライラ期を堂々たる態度で受け止めてやろうと思ったがムダであった。イライラ期を迎えた妻はさながら時速八〇キロで走るダンプカーである。私はコッパミジンに吹き飛んだ。

正面突破は諦めた。なんとか妻の心の中へ入り込む方法はないかと考えた。きっと妻の心の奥底には、あの頃の妻がいるはずだ。出会った頃の妻が体育座りで私の迎えを待っているはずである。「違う。こんなのは私じゃないよ。助けて。貴方」そんな声が聞こえた気がした。もちろん気のせいであった。

私は自前の木魚をポクポクとやって、我流のリズムを奏でた。そしてハリのある声で「八つ当たるは人の道にあらず、八つ当たるは鬼の道たるぞ。その道に一切の光は見出せず、その道は闇へと通ずる。南無南無。」と、唱えていたらピシャリと右の頬を叩かれた。痛い。妻は閻魔の形相である。釈迦に説法ならぬ閻魔に説法であった。

どうしてそう私を苦しめるのですか、地獄の責め苦にたえたあかつきには極楽浄土へ行けるのですかと妻に聞いてみた。すると妻は驚くべきことを語りだした。「お前にはまだ前世での罪が残っている。現世で少しでも償ってみせてみろ」そんな馬鹿なことがあるか。前世の私はいったい何をしたというのか。坊主でも殺したのか。

私はてっきり妻の八つ当たりに耐えることこそが徳を積むということで、命を全うして極楽浄土へ行くものとばかり思っていた。貯金をしているのかと思ったら、まさかの借金の返済に追われる身であったようだ。

なんでも妻が云うことには、ただでさえ前世の罪を償っている最中にこれ以上の罪を重ねようものなら、私は死後も地獄で妻とよろしくやらなければならないらしい。オソロシイ。

なんなら罪を犯さずとも地獄へ連れて行ってやると云われた。裏口入学ならぬ裏口入獄である。そんな話が通ってたまるか。結婚式では死が二人を分かつ時まで愛し合うと誓うはずである。死後のことは初耳だ。

そんな妻もイライラ期だからといって誰彼かまわず八つ当たりをしているわけではないようで、「私の八つ当たりを幸運と思え」とマッチョな意見を押し付けられた。

地獄の亡者よ、楽しくやっているか。閻魔大王はここにいるぞ。私にはいささか愛が重すぎる気がするが、前世の私のせいなら仕方ない。妻の愛を受け止め続ける他ないであろう。