汝、そのダンベルを持ち上げよ。然る後、走れ。

松尾式自分探索

ここに断言する。男とは磨くものではない。男とは膨らますことで第一の段階とし、そこから絞る第二段階を経て完成する。つまりはバルクアップした後に減量せよということである。汝、黙ってそのダンベルを持ち上げよ。然る後、走れ。

禅の逸話に「瓦を磨いて鏡となす」というものがある。師はなんのために座禅を続けるのかと弟子に尋ねた。すると弟子は「仏になるために座禅をします」と答えた。師は瓦を手に持ち磨きだした。弟子はなぜ瓦を磨いているのですかと師に尋ねた。「瓦を磨いて鏡にしようと思う」と師は答える。弟子は困惑しつつ、磨いても瓦は瓦のままですよと師匠に云う。すると師は「どうしてさっき座禅をして仏になると云ったんだ」と問い返した。弟子は答えることができなかった。

つまり、座禅する前に仏になるとはどういう事かよく考えろということである。座禅すれば仏になれると思って座禅をしていても仏にはなれない。

今やどんな疑問もGoogleが答えてくれる時代だ。ためしに「男を磨く」と検索してみて頂きたい。出てくるのは眉の整え方や、服装の着こなし術、自己啓発に自宅でできる筋トレやそれにまつわるグッズなどを紹介してくる。端的に言えばどれも宣伝広告である。果たしてこれで男を磨けるのか。そもそも男とは磨くものか立ち止まって考えるべきである。宣伝広告を真に受けてこれらのメニューをこなしたあかつきには、多少は女ウケがよくなるだろう。それでいいのか。そもそも男磨きという言葉が、モテと強固に結びつきすぎているのが問題だ。モテたいという欲を満たすために、女の仲間入りをしようとしていないか。

どれだけ女に擬態しようと最終的には男でしたと欲も身体もその全てをさらけ出すわけであるから、服装やスキンケアにだけ気を配り、肉体的鍛錬を怠ればどうしてもそれは気持ち悪くなる。

女にモテる男は確かに男から見ても魅力的ではあるが、モテたいという気持ちそれ自体はまったく男らしくない。順序を間違えてはいけない。結果としてモテるからいい男なのである。

私は社会人になってから長い期間、モチモチとした体形を維持していた。それは傍から見れば太った風に見えていたかもしれないが、それはまったくの誤解である。あれはバルクアップである。まさに男になるための第一段階。私は難なくそれをこなしていたわけである。

最近、走ることが習慣になった。順調に体は絞られている。結婚式が迫っているから急に始めたダイエットではない。男の第二段階に進む時が来たなと判断したまでである。私の身体的感覚からすると、来月には体脂肪率は一桁台になっていると思う。まさに男の中の男である。

たまたま私のダイエットの調子がいいからマウントをとっているだけだと思った読者には喝を入れる必要がある。私の辞書にダイエットなんて言葉はない。あるのは、バルクアップと減量期だけである。

週に二回は六キロのランニングをしている。槇原敬之は「あのころの僕は追い越せない」と歌っているが、私は追い越してしまいそうである。先日あまりにも調子よく走っていたら、オービスにひっかかった。国道も日本も私にとっては狭すぎる。

君たちがつるつると男の表面を撫でて磨いている間に、私はごつごつと岩の如き男を作り上げる。

ラッパー般若は「ライバルじゃないやつ、この世にいないはず」と述べた。

私を手本にして皆のバイブスが上がることを期待する。