愛の言葉

結婚式前夜

私のブログの読者の九割は美しい乙女である。根拠はない。しかし、疑う必要も特にないのである。何故なら、これは私の信念であり生きがいであるからだ。私はたいへん意思の強い人間であるから、自分の信念や生きがいを疑うことはない。

そしてこのブログの読者の残り一割は残念なことにむさくるしい男であろう。さらにその内の九割はモテない男であると思う。これにも根拠はない。しかし、疑う必要もないのだ。何故ならこれは私の願いであるからだ。私はたいへん素直な人間であるから、自分の願いも素直で正しいものであると信じている。モテない男が増えるほど、相対的にみて私はモテるはずである。

このブログの読者であるむさくるしい男性諸君には、クリスマスプレゼントを贈りたい。ダメージを受けすぎてモモ肌見えまくりなスキニージーンズと、トゲトゲのついたテカテカの革ジャンで如何か。千年の恋もたちまち冷めること間違いないだろう。

このブログに書かれているほとんどの内容は事実に基づいている。

妻は怖く、私は必死で生きている。

私の無様な生き様と、妻という絶対的かつ絶望的な存在に、ちんけなユーモアで立ち向かう姿は、誰かを勇気づけるのではないか、そう思って今年はちまちまとブログを更新していたわけである。

楽しんでいただけただろうか。

楽しんでいただけたなら幸いです。

さて、何か役にたつことを書きたいと思う。

今回はこのブログの読者の一割を占めるむさくるしい男性諸君の内、九割を占める残念なモテない男性陣にむけて書こうと思う。(君たちの名誉のためにも、君たちが素晴らしい友であることをここに記す)

テーマはタイトルにもある「愛の言葉」についてである。

「愛の言葉」とは何であるか。

「好きだ」「愛している」「大切にする」「幸せにする」いろいろ思いつくだろう。

こんな言葉はみんなゴミであると胸に深く刻みこんで欲しい。

それこそ心を深く抉ってでも記すことをすすめる。

何故なら、しっかりと記しておかないと、そのうち君が愛する女性本人の手によって、同じ傷を心に負うからである。

君の傷ついた姿を私は見たくない。

そして、深く傷ついた私の姿をしかと目に焼き付けていただきたい。

大半の男はなんの話か分からないだろう。分からないなら君はモテない。保証する。何故なら、モテるまでわからない事実だからである。

心配する必要はない。悪いのは古今東西に蔓延る様々な「恋物語」のせいである。君は悪くない。

恋愛には様々なフェーズがあるが、君のとっておきの「愛の言葉」で、女がグッときて、君にアインシュタインもびっくりな引力が働くのは、恋愛初期の、ある一区間の、終わり際だけである。

君の大好きな女性は、呪いにもかけられていないし、命も狙われていないし、どこかに囚われてもいない。君の大好きな女性はいつも退屈と戦っている。

彼女が自宅で一人の時、どれだけスマホに釘付けかを知っていれば君も理解するだろう。

しかし、彼女たちも幼い頃から古今東西の恋物語をひたすら見続けている。そして王子様が現れるのを夢見ているのだ。

だから、恋愛初期の段階では、君を王子様だと錯覚させるための「愛の言葉」が大切になるわけである。しかし、それで口説けても大半は幸せになれない。

「愛の言葉」はぶっちゃけたいして面白くない。これは真実だ。

恋愛の初期段階を「愛の言葉」でのりこえても、効力はすぐに薄れる。

王子様と結ばれてめでたしめでたし。その後も物語は続くわけである。

彼女の幸せは君のユーモアにかかっている。「愛の言葉」に頼らず、ただ笑わせて、退屈させないことに尽力しよう。彼女の愛の火を灯し続けたければ、笑顔にし続ける他ない。

この記事を書くのに一時間かかったが、その間、リビングで寝転がる妻は一秒もスマートホンから目を離さなかった。また、ネットで鍋を買ったみたいだ。

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