情けない兄の言い訳

草枕、恐妻家の芸術論

妻と結婚して、義理の妹ができた。
妻の双子の妹である。
彼女はふわふわ、おっとりしていて、たいそう可愛い。
その性格は、妻と対象的である。
例えるならば、童話の北風と太陽であろうか。
もちろん、北風も太陽も妻である。
妻がその気になれば、私はカンタンに吹き飛ぶし、カラカラに干からびる。
時々現れる義理の妹は、さながら砂漠に気まぐれに現れるオアシスである。

さて、私がこんなことを書くと、複数の視線が私に刺さる。
先ずは妻の視線だ。嫉妬の視線である。それで良い。妻は毎日のように私をすり潰そうとしてくるが、案外と嫉妬したりすると、可愛らしい反応をする。たまには嫉妬してくれるくらいが丁度いい。

そしてもう一つの視線は、このブログの女性読者の視線であろう。私の軽妙洒脱な文に恋い焦がれて、彼氏や旦那に隠れて夜な夜な貪るように読んでくれている女性読者を私は蔑ろにするつもりはない。
君たちとは特別なリレーションシップを築けていると思っている。嫉妬することないさ。


そして最後の視線が、私の実の妹の冷めた視線である。
なぜ冒頭で義理の妹に触れたのか、義理の妹を大切に思うまで私は、私の実の妹を避けていたのだ。
私は妙なところで正義感や責任感を持っているので、義理の妹を大切に思った分だけ、まず大切にしないといけないはずの、実の妹に罪悪感を感じたのだ。


私は良き兄として機能していなかった。


それに比べて、妻は、私の実の妹と仲が良い。
妹は昔の私をイケイケだったとか言ってくれていたらしい。そんなことないぞ妹よ。


今日は言い訳をさせてほしい。
私にだって、良き兄であった時期はあったのだ。

あれは小学6年生の頃だったろうか、私の兄としての立場をいっぺんに不安定にした事件があったのだ。

私の家は両親ともに遅くまで働いていた。
私と妹は鍵っ子であった。
2人で遊ぶことはあまりなく、お互い自分の世界に入りがちだった。私はレゴブロックで遊び、妹はなにやら木のお家で遊んでいた。

夜、私には担当の家事があった。
お風呂を洗って、湯を沸かし、妹と風呂に入ってやる。私はなんとも思ってなかった。湯船で波を起こすと、妹はコロコロ笑った。

ある日のこと、小学校で事件は起きた。あれは昼休みだったと思う。
私はグラウンドで、バッタか何かを追いかけていたと思う。

私は、女子の一群が、スキップしながらこちらに向かって来ていることに気づいた。
何やら「コーン、、、、コーン」 と聞こえた。
皆が笑顔で楽しそうであった。
その一群が近づいてくると、皆が私を指さして笑っていることに気づいた。

スキップした女子の一群が、私を指さして笑いながら、「シースーコーン♪シースーコーン♪」 と笑っていたのだ。
私は仰天した。

そして、先頭の女子が私に言った。
「 妹とお風呂とかキモー」と言ったのだ。
私は衝撃を受けた。急に恥ずかしくなったのだ。勝ち目のない戦いだと悟った。

しかし、私は踏みこたえたのだ。
心の中で静かに叫んだ。
「親が忙しいんだ。兄貴の役割だ。いいさ少しくらいシスコンと言われても。妹だってお兄ちゃんにお風呂に入れてもらって楽しそうだ」
踏みこたえた私であったが、次の瞬間、呆気なく心が折れた。

一群の最後尾に、ものすごく楽しそうにスキップしながら「シスコンシスコン」と歌う妹がいたのだ。
妹は、無邪気で残酷であった。

その日の夜、私は母に言った。
「 お母さん。もう僕は、妹をお風呂に入れてあげることができない。僕は一人でお風呂に入る」
母は優しい笑顔で承諾してくれた。

その日以来、何度か「 一人で入りたくない」と駄々をこねる妹の泣き声を聞いた。

それ以来、私は妹との距離感がわからなくなった。 
優しくて面白い兄として機能しなくなったのだ。

最近、少し妹と普通に話ができるようになった。
結婚とは、かくも男を成長させるものであるか。
愛は連鎖するのだ。

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