このブログは私の生き様を記した自伝的小説であり、人生という激流に流されて散り散りになった友人たちへの手紙である。
私をよく知る者には既知のことであると思うが、ここに記されている私の八面六臂の活躍ぶりや、慈愛に満ちた人柄には、一切の嘘偽りがなく、誇張もない。正真正銘のノンフィクションである。
いつの時代にも、人々の手本となり、バイブルとなる本や詩がある。このブログはまさにそれである。と筆者は信じている。
人生という袋小路に迷い込んでしまって身動きのとれぬ者、恋の病に侵されて寝食もままならぬ情けない男たち、彼氏や旦那との退屈な会話に飽き飽きしている知的で美しい淑女、皆がこのブログを読めば良い。
私の紡いだ軽妙洒脱な文章は、人生の袋小路を突破する活路になり得る。意中のあの子を口説き落とす手練手管のお手本にもなり得る。暇を持て余した淑女は、退屈な彼氏や旦那では決して感じることのできない甘美でロマンチックな時間を私の文章から得ることができるだろう。
文章の表面的な意味だけを追いかける若き青年は言う「奥さんに尻に敷かれていることを自虐ネタにしてブログを書いているだけじゃないか」と、ああ、若さとは何と浅はかで、可愛らしいのだろう。
何も私の妻のキュートな尻に敷かれずとも、我々は皆、この世に生を受けたその日から、意地悪な人生という女神の尻に敷かれている。
皆が心に刻むべきだ。
特に、いい歳にもなって未だに心の渇いた男たちは、しかとその心に刻んでいただきたい。
「体力の許す限り、たくさんの尻に敷かれよ。その尻は、妻かもしれない。愛人かもしれない。意中のあの子かもしれない。仕事、友人かもしれない。人生かもしれない。とにかくたくさんの尻に敷かれるべきだ。」
尻に敷かれるとはつまり尽くすことである。夢にまで見たあの子にも、仕事にも人生にも、言わずもがな妻にも、優位に立とうとしてはいけない。
優位に立ったところで、君の心の渇きはどうにもならない。
いつだって、愛する側に立つべきである。
愛って何ですか?と聞かれれば私は答えよう。
「キュートな尻に敷かれることだと」
尻に敷かれることこそ愛である。
どうして、愛する者に対して、優位に立つべきでないか?
若い人は知らないだろう。
ここに一つ、真実を書き記そう。
男女の愛についてだ。
なぜ女が、男にたくさんのことを要求するのか?
彼女たちは等価交換を望んでいるのである。
そもそも、まず初めに、女は男の心に愛を与える。
心に愛を与えてくれるのである。
女は、男に与えた愛を「別の形で返せ」と要求しているに過ぎない。
至極当然の話である。
男は、心に愛が芽生えたなら、喜んで恩返しをするべきである。
そしてこれは、男と女に限った話ではない。
仕事にも、人生にも、友人にも、自ら進んで、愛を返すべきである。
勘違いしてはいけない。
まず初めに、彼彼女が、仕事が、人生が、君の心に愛という花を咲かせてくれたのだ。
このブログで、僕は、僕のステキな友人に、少しでも恩返しができたらいいなと思う。
2023年の一月一日をこんな感じで僕は始めたい。