帚木(ははきぎ)

その後の、お尻

源氏物語が流行っているらしい。

源氏物語の作者である紫式部を主人公にした大河ドラマ「光る君へ」の影響だそうだ。

ご存知のとおり、源氏物語は、とんでもない色男、光源氏の恋愛遍歴を描いた物語だ。

光源氏の恋愛遍歴を箇条書きにして眺めると、とんでもないクズ野郎なのだけれども、読んでみて、近くで見てみると、なんとも嫌いになれない。

叶わぬ恋に悶々としたり、手を出してしまってから「さすがにやっべえか」と焦る光源氏の姿は、素直で、滑稽で、眺めているこっちとしては愉快である。

ぼくは、源氏物語のなかでは帚木(ははきぎ)が好きだ。

この話は「雨夜の品定め」という、光源氏が友人らと恋バナをするシーンから始まる。

「光君、むっちゃ手紙来てるやんか。なあなあ、ちょっと手紙見せてーや」

「ええけど、そのへんに置いてあるやつだけやでえ」

みたいな会話から始まる。

現代なら、lineを見せ合うみたいなもんか?それはキツイな。と、思ったが、この時代は相手から送られてきたメッセージだけが手元にあり、自分が送ったメッセージは手元にないのだ。

それならまあ、大切に想っている人以外のはまあ、あり得るかとも思う。

しかし、光源氏も男の子、大切な手紙は絶対に見せない。

「光君が見せたくないような手紙こそ、ぼくら見て見てみたいんやんかあ」

と友人にねだられても、光源氏は決して見せようとしない。

「そっちが面白い恋バナ聞かせてくれたら、ちょっとくらい見せてもえーよ」

と、光源氏が提案。

そこから、恋バナが始まる。

この恋バナも、現代女性が読めば間違いなく一定数はブチ切れるような内容である。

どんな女が一番良い女か、四人の男が語り合う。

光源氏は基本的に聞き役だ。

顔にスタイル、性格、育ち、みーんな揃った上の女なんて、ほとんどいない。いたとしても光源氏くらいでないと釣り合いませんわなあ。と、上の女はいないものとして。

下の女(下流階級の女)なんて興味も持てない。

じゃあ中の女だ。中流階級の女には、たまに良いのがいてますわ。と話が進む。

彼らの恋バナは、男が読む分には結構おもしろい。あるあるネタみたいな感じだ。

家事が良くても趣味のない女はおもんないし、可愛くて面白い女は浮気する。嫉妬深いのは疲れるし、子どもっぽいのは可愛いけど頼れへん。メンヘラなんて絶対にあかへんやんか。

で、「恋人としては、個性のあるような女が退屈しやんでええけど、妻としては一生をともに過ごすんやから、個性とかやのーて、愛情の深い女がええわなあ」

と、なんとも当たり前な結論に落ち着き、そこからは、実際にどんな女と付き合ってきたか、元カノ話になる。

ずっと聞き役にまわっていた光源氏は、この「雨夜の品定め」を期に、「中の女ってやつも良いのかもしれないな」となんとも失礼な興味を持ち、さっそくそんな女を見つけて、グイグイ迫る。

このグイグイの迫り方がとんでもなく、ほとんど犯罪である。現代社会で実践しようものなら、そうとうの覚悟がいる。

その女が空蝉(うつせみ)で、空蝉は人妻である。彼女は光源氏に憧れつつも、なんとか断り続け(メロメロしながら必死に断る)、光源氏はたいそう凹む。

それが帚木(ははきぎ)の簡単なあらすじである。

光源氏はクズなのだけど、とんでもないイケメンに口説かれる空蝉本人は内心メロメロだし、たしかにこれなら女性が読んでも楽しめるのかもしれないな。と思う内容になっているので、男女ともにオススメする。

興味のある方には、角川ソフィア文庫『与謝野晶子の源氏物語』をオススメする。

ぼくは光源氏がけっこう好きだ。

彼が女に迫るときの(迫ってはいけない女に迫るとき)、「好きになってしまったんよ、ほんまごめんな」みたいな雰囲気が好きだ。

小説でも映画でも、実生活でも、浮気や不倫を正当化するような男はどうも好きになれない。

理屈っぽく、クドクド説明する男だ。

「妻の前では夫としての自分。君の前では、僕はまた男になれるんだ。僕の妻だって、きっとそうさ。だからね、君と出会えて僕は本当に幸せなんだよ。なんてったって、また本気で恋ができるのだから」

みたいな男、大っ嫌いだ。

「いやあ、好きなんよ。あかんよなあ。ごめんな。浮気とか、カッコ悪いよなあ」

みたいな男が良い。

すくなくとも、僕が女だったなら、そうやって迫ってもらいたい。

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